ひと休み

Breaktime

 

 いや~久しぶりに短時間で文章書きました。読書ブログということで、①筆者の伝えたいことを簡便に伝えられているか ②僭越ながら、感想及び評価を書けているか ③「読者」の興味を引ける内容の本を選択できているか などを念頭に試行錯誤いたしております(笑)

 

 初回は保守派の論客、佐伯啓思京大教授。著書の数も多く、新聞などで名前くらいは聞いたことがあるぞ、という方が多かったのではないでしょうか?

 

 ところで皆さんは「グローバル化」という言葉をいつ頃から意識してますか。私の高校時代までは「国際化」が一般的でした。ちなみに国際人の訳としてinternational manは✕(これでは二重国籍だと思われます)で、international-oriented manが○です。

 

 話を戻しますが、冷戦下では国家(nation state)が国際政治の主要アクターだったわけですが、それ以降は国際機関や多国籍企業NGOなども重要なアクターとなり、現実的に国家の持つ意義そしてパワーは相対化されている。

 

 世界史を俯瞰すれば、18世紀の重商主義も19世紀末の帝国主義グローバル化と言えなくもないが、21世紀ほど国家の役割が相対化される変化の波はない。それゆえ国家の役割を再考しなければならなくなる。

 

 新型コロナウィルスの問題はその事を明示してないだろうか?ウィルスはまさにボーダーレスで、その対応に国、地方公共団体、企業、そして国際機関との連携が必要なことは間違いない。もはや国際化時代の産物のような法体系(特措法など)や縦割りの行政指導ではこの難局を乗り越えるには無理がある。

 

 グローバル化の時代に『国家の退場』は起こらない。それだけに政治家も国民も国家の役割に関してバージョンアップする必要があるのだろう。アメリカにおけるその最初の反作用がネオコン(ブッシュJrやラムズフェルドら)によるアメリカの世界警察化であったが、捏造された証拠では彼らの「強い政府」は正当化されはしなかった。(確か、ラムズフェルド人工甘味料会社のオーナーもしています(笑))


 『国家の退場』はないと言ったが、国際政治経済の舞台から日本が退場を余儀なくされないように、日本もみんなの知恵を振り絞り、試行錯誤でバージョンアップしなければならない。

 

 第1回に書けなかった思いつきをBreaktimeとして書かせてもらいました。では、第2回をお楽しみに…