人間の本質は自由である

第2回 『人間自身 考えることに終わりなく』池田晶子、新潮社

 

 今から25年前、八重洲ブックセンターに立ち寄ると気品漂う一人の女性がサイン会を行っていた。よく見ると池田晶子さんで、思わず列に並んでしまった。ファンというより、彼女の言動に尊敬に近い感をいだいていたと思う。「何かお勉強されてるの?」と聞かれたので、「はい、ヨーロッパの比較政治を」と答えたところ、「私が一番興味のない世界のお話ね」と微笑まれた。さすが魂の人、池田晶子、お世辞無しね、それでいい、それでいい(笑)

 

 本書はそんな池田さんのエッセイ集で、特に面白そうな「男女は平等である」をレビューしたい。

 

 池田さんは男女の平等・不平等の問題に興味がないという。(フェミニズムなど)そちらの業界からは「女の敵」扱いされているらしい。なぜ関心がないかと言うと、男女間の区別はあるが、それが人間にとって本質的な問題でないからだと言う。確かに男女間の差別は存在するが、生存そのもの(生き死にの問題)に男女間の区別は存在しないからだと。「男女は平等である」と喝破する所以である。

 

 また論理的に考えて、「男」一般、「女」一般は存在せず、存在するのは個々別々の男女だけで…性別と存在の不自由さは、自分を日本人と思い込むことの不自由さと同じだと。たぶん池田さんにはアイデンティティーの問題もないのだろう(笑)

 

 この彼女の言葉の強さはまさに市井の哲学者ならではで、ソクラテス(もしくはその悪妻クサンチッペ)も顔負けである。哲学的には、属性(attribute)と本質はまるで別個で、「人間の本質は自由である」と確信している。20世紀に入り社会学の父マックス・ウェーバーが「意識が存在を規定する」と主意主義(voluntarism)を唱えるが(マルクスはこの反対)、思考主義という点ではデカルトウェーバーも池田さんも同じ様に思える。

 

 日本人は特に属性を大切にする。まさに「属性人」(homo attributo)と言えよう。学校名、会社名、居住地域がとにかくすべて、これでは不自由なわけである。スマップの「世界に1つだけの花」でも聴いて、脱属性人への第一歩を踏み出したい。そう、ジャニーズやめても、それで終わりではないんだ(笑)

 

 池田さんは2007年になくなられたが、彼女の本質は魂の言霊として今でも読める。「少しは成長したわね」なんて微笑んでもらえるよう、これからも本質を考え続けていこう。はじめてサインいただいた淡い思い出とともに…


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