生きとし生けるもの

第3回 『人類哲学序説』梅原猛岩波新書1422

 

 「巨星墜つ」、人それぞれにその対象は異なるものの、梅原猛さんの訃報(2019年没、享年93歳)は私にとってまさしくその通りだった。学生時代に読んだ梅原さんの『隠された十字架』は、ダン・ブラウンの『ダ・ヴィンチ・コード』を徹夜して読んだ時と同じ興奮レベルであった。法隆寺が仏法の鎮護のためではなく、怨霊と化した聖徳太子を鎮魂する目的で建てられたとする仮説は、受験戦争を終えたばかりの脳ミソにはあまりにも刺激的だったのだろう。

 

 梅原さんは西田幾多郎が去った京大で哲学の思索を始める。横文字を縦文字に変換する単純作業(=翻訳)ではなく、日本文化の原理の中に西洋文明の行き詰まりを解決するであろう新しい指針を見い出だそうとする。地域的な特性を帯びた思想ではなく、普遍的な「人類」の立場からの思想の体系化を自らの言葉で試み、それが所謂「梅原日本学」と結実することになる。

 

 では、梅原さんの考える日本文化の原理・本質は何かというと、それは「天台本覚思想」だと言う。伝教大師最澄が開いた天台宗は、円珍・円仁の中国留学を経て、真言宗弘法大師空海が開祖)と同じく密教化していき、中興の祖良源によって完成された(天台宗台密真言宗東密)。梅原さんはシンプルに「天台宗真言宗=天台本覚思想」と捉える。

 

 そしてこの天台本覚思想の中心概念として『草木国土悉皆成仏』を紹介する。それは生きとし生けるもの(人間だけでなく、動物も植物、土など)すべてが仏性(仏になる可能性)を持ち、救われ、仏になれる、という思想である。すべての人間が仏性をもつとした天台宗と、草木の中にも大日如来が宿っているという真言宗のハイブリッドに他ならないと。

 

 このような思想は仏教生誕の地インドにはないらしい。確か、埴谷雄高の『死霊』の最後の審判の場面で、ブッダがチーナカ豆(=ヒヨコ豆)に非難されている。動物は食べてはいけなくて、なんで植物は食べて良いのかと(精進料理を想起せよ)…ブッダが天台本覚思想を知っていたら、なんと答えただろうか。

 

 しかし天台本覚思想が日本文化の本質となるにはやはりその文化的素地が無くてはならない。梅原さんはそれを10万年続いた狩猟採集文化・漁労採集文化に求め、特に縄文文化を評価する(岡本太郎も日本で一番の芸術は縄文土器だと言っていたが(笑))。その生活文化の中でアニミズム(精霊信仰)が生まれ、その後も多神教(「八百万神」を崇める)である原始神道と6世紀伝来した仏教の影響のもと、10世紀に天台本覚思想が完成したと。

 

 狩猟採集文化・漁労採集文化を素地として、アニミズム多神教を経ていた日本において天台本覚思想が、その本質的な地位を占めることはごく自然であったかもしれない。仏教が民衆化した鎌倉仏教(浄土、禅、法華)においても天台本覚思想が前提とされていた、と梅原さんは言うが、これについては仏教学者から猛反論あったようだ…

 

 さらに梅原さんは「草木国土悉皆成仏」の天台本覚思想の普遍化を試みる。思想の素地である狩猟採集文化・漁労採集文化は歴史的には世界中で経験されており、その意味ではアメリカ大陸の先住民やオーストラリア大陸アボリジニーそして日本のアイヌ民族の皆さんは、まさに天台本覚思想のメインストリームなのかもしれない。だから梅原さんはこの思想を「人類」哲学なんだと言う。西洋文明が行き詰まった今だからこそ、地域的な特性を帯びない普遍的な哲学が必要なんだと。

 

 とにかく器の大きな人、それが梅原さんに対するイメージだ。大きなストーリーを描けるし、世界の言語、歴史にも精通しておられ、しかも知的な喧嘩もめっぽうお強い(笑) 晩年は何度かガンの手術もされて、それでいて必ず蘇る不死鳥のような方だった。なんだろう、好き嫌いは別として、中曽根、ナベツネ瀬島龍三あたりと巨星イメージがかぶるのだが…(笑) 

 

 そうそう梅原さんが創作した市川猿之助主演の「スーパー歌舞伎」に亡くなった母と何度か観に行ったことがある。特に「ヤマトタケル」はワクワクしどうしだった(見せ場は元祖宙吊り)。そんな思い出をいただけただけでも個人的に梅原さんには感謝申し上げたい。

 

 最後に、生きとし生けるものの中に、新型コロナウィルスは含まれるのか、梅原さんに質問してみたい気がしてきた(笑) もっと言えば、この時代にどんな大きなストーリーが描けるのか、巨星梅原猛の声が聞きたくなった。

 


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